ななころびわなびA

ワナビ歴10年。そろそろ限界

ブログ小説「黒猫とアリス」6話

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 水族館内でのアリスのテンションは異様だった。


「やばいやばいやばい、チョウチンアンコウ! キモイ、可愛い、美味しそう!」
「おまえあれだろサバの大群見たあとにサバ定食食べるタイプだろ」
「サバ美味しいよね。大ー好き」

 しかしテンションが異様なのは凪人も同様で。
「チンアナゴだって。にょろにょろー」
「ガラスを叩くな、シャッターチャンスなのに引っ込んじゃっただろう」

 カメラとパンフレットを手にすべての水槽を見て回った。
「ジンベイザメ、おおきいけど優しい目しているね」
「説明によると、魚類の中では最大だって。そのくせプランクトンや小魚が主食らしい」
「見せて見せてー」

 凪人が見ているパンフレットをひょいっと覗き込んでくる。距離が迫るだけで心臓がドキッと鳴った。


(おれ、なにしてるんだろう)


 水族館を本気で満喫している。これでは本当にデートだ。


「こうやって外で遊ぶのは久しぶりだなー。……ね、恋人らしく手とかつないでみる?」

 からかうように手を伸ばしてきた。
「いや、それはちょっと」
「カップル万歳!」

 ものすごく強引に、しかも訳の分からないセリフとともに手を握られる。

 こんなことをしていたら周りに注目される……と思ったが、

「誰も見てないよ」

 アリスの笑い声で気づいた。
 客たちはそれぞれの水槽に夢中で、誰ひとりとして凪人に注目していない。
 ここはそういうところなのだ。


(ほんと、なにしてるんだろ、おれ)


 呆れつつも手を振り払えない。それどころかもっと強く握ってほしいとすら思っている。
 こんな気持ちは初めてだった。

 

「――ねぇ、私のこと調べてみた?」

 水槽の青白い光を受けたアリスが何事もないように呟く。

「……いや。なにも」
「嘘が下手だね。鼻膨らんでるよ」

 指摘されて慌てて鼻を押さえたが、動揺しているのは見抜かれていた。

「少しだけだよ。調べなかったら怒られそうだったから」

 アリスはつないでいた手を離して背中を向ける。

「なかなか面白かったでしょう? 私は小学校ではいじめ相手を自殺未遂にまで追い込み、中学では非行を繰り返して補導され、高校では男遊びに忙しいらしいよ」
「どうせデマばっかりだろう。噂なんて尾びれ背びれがつく。ネットなんて特に」
「でも事実として私は歯ブラシ騒動を起こしたし、他にもいくつか被害を訴えられてるんだ。身に覚えのないでっちあげばかりだけどね。この前だって生着替えに挑戦してわざと失敗したし、仲の良かったモデル仲間の悪口をいっぱい話した」

 自分の悪事を得意げに語る一方、アリスは少しずつうつむいていく。

「この前ファンは三千人いるって言ったけど、アンチはその三倍以上いてアンチファンクラブを作ってるんだ。きっと私が死んだらこぞって花を贈ってくれると思うよ。なんなら記念日になるかも」

 アリスはガラスに手をついて魚たちを眺めている。
 青白い光に彩られた横顔はどこか淋しそうだ。

「私ね、水槽の中の魚をちょっと尊敬しているんだ。だってこの子たち生きている間はずぅっと人間に見られているんだよ。食事もトイレも交尾さえも丸見え。私なら気が狂いそう。だけど平然としている。でももしそれだけの覚悟ができたのなら、もっと売れるのかなぁって考えちゃう」
「なに言ってるんだよ、水族館の魚じゃないだろ」
「でも似たようなものだよ。水槽がカメラのレンズに代わっているだけ。でもそれでも不十分なの。素のままの私はとっても未熟。だからフィルターを挟む。……私、どうしても負けたくない相手がいるの。だから自分が載っているページが一ミリでも増えるためならどんな『設定』だって受け入れてやるつもり」


 とんでもない覚悟だ。と、感心した。
 とんでもなくバカげた覚悟だ。と、呆れた。


「おれにはよく分からないけど――その辺の悪事って全部、事務所の指示なんだろう?」
「えっ」

 驚いたように振り向くアリス。
 図星を当てられたというよりは、気づかれたくなかったと顔に書いてある。


「なんとなく、だけどな。やり方があからさまだからそう思っただけだ」

 半分嘘だった。
 小山内レイジであったころ、凪人に求められていたのは「子供らしい」純粋さと賢さ。いろんな勉強をさせられ、スポーツをさせられ、大人に媚びる方法を教わってきた。世間が抱く「小山内レイジ」のイメージを壊さないよう言動にも気を遣い、いつも傍らでマネージャーに監視されていた。
 アリスも同じなのだ。きっと「Alice」を演じている。


「でも分からない。どうしてそこまでするかが」
「売れたいから。それが理由じゃあダメ? 私はどんな手を使ってでも有名になりたい」
「なんで?」
「なんででも! 私モデルとしては身長低い方だし、顔と髪色以外は目立ったところないし特技もない。だから社長さんが手っ取り早く売れるにはこれが一番だって……」
「そのせいでストーカーに怯えてるんだろ。事務所は守ってくれてるのか?」
「……被害届を出すのは待てって。いちばん同情を買いやすいタイミングで指示するからって」
「自分の命まで事務所に預けるのか?」
「だって……仕方ないじゃない。私にはなにもないんだから」

 堂々巡りだった。
 「売れたい」という一点で合意している事務所側とアリスの結びつきは強い。部外者である凪人が入り込む余地などないのだ。
 けれど。


「自分が何者なのか分からなくなる気持ち、おれにも分かるよ。いまだって分からない。黒瀬凪人ってなにって聞かれたらなんにも答えられない」
「そういうの不安じゃない?」
「不安だけど他人に採点を任せるなんてヤダな。結局自分で落としどころを見つけるしかない。決めるのは自分なんだ。他人なんかに決めつけられたくない。おれはそう思う。おまえは?」
「……私は……」

 問いかけられたアリスは驚いている、というよりは呆れたような顔をして――。


「……ぷ、ぷふふふふ、くくくくく」


 腹を抱えて大爆笑しはじめた。
 周りの客たちが不審そうに振り返るので凪人は慌てて手を掴んで歩き出す。
 人のいないところを探して歩き回った凪人は屋内から外へと出た。焼けつくような日差しが肌を刺す。空いているベンチを探してアリスを座らせた。


「あーおかし、あー笑いすぎてお腹痛い、あっついー」

 涙目になりながらも笑い続け、自分の帽子を団扇がわりに扇いでいる。

「いつまで笑ってるんだよ……」
「ごめんなさい、ちょっとセンチメンタルな演技したら凪人くんがあんまりにも真面目な顔したのがおかしくて」


(演技だとぉっ!)


「ごめんってば。ふだんの仏頂面よりああいう顔している方がカッコイイよ。私のお墨付き」
「悪かったな無愛想で」
「褒めただけなのにどうして怒るかな? それともギャップがいいのかな。私を助けてくれたときなんか必死な顔していたもんね」

 あのとき無我夢中だった凪人は自分がどんな顔していたかなんて分からない。けれど少なくともアリスの心には強く残っているのだ。


 そこでふと思った。
 このデートはもしやストーカーのためではなく。

「あのさ。もしこのデートが口止めの一環だっていうなら、誰にも言いふらさないって」
「半分アタリで半分ハズレ。私は痴漢から守ってくれた優しい人に恩返しがしたかったの。ミッションなんて嘘。まぁ、そうなればいいけど」
「痴漢……まぁ、気持ちだけでいいよ。モデルのAliceと直接話せただけでもう十分だ」
「欲がないんだね。友だちになりたいとか連絡先交換したいとか。なんならモデル仲間も紹介できるよ?」
「そういうのはいい。……目立ちたくないんだよ」
「吐いちゃうから?」

 あっさりと核心を突いてくる。


「この前吐きそうだったよね。あれ、周りに注目されたからでしょう。人込みがダメなら電車に乗る選択肢はまずないだろうし、学校にも通っていないはず。嘔吐用の袋を常備していなかったのはそれだけ目立たず行動できていたってことでしょう」
「……分かっているなら傷口に塩を塗るようなことはせずに放っておいてくれ」

 関わらないで欲しい、と言外に突き放したつもりだった。わずかな時間で凪人の状況を察した頭の良い彼女ならすぐに理解できるはずだ。
 しかしアリスは塩をまぶすようなジェスチャーをする。
「どうして? リンゴもスイカも塩ふるとより美味しくなるんだよ? 私、凪人くんのこともっと美味しく味わいたいもん」
「アホか」

 わざとそうやっているのだと分かっていても呆れるしかなかった。

 

 ※

 

 目の前のプールではペンギンたちが気持ちよさそうに泳いでいる。ちょうど食事タイムで、係員が配る魚を美味しそうについばんでいた。


「ペンギンのお食事タイム見ていたらお腹空いちゃったねー」

 笑ってお腹をさするアリスを見ていると凪人も空腹を覚えた。

「私、売店でなにか買ってくるよ、デートに付き合わせたお礼に」

 そう言って腰を浮かせたので慌てて制した。

「おれが行く。チケット代を払ってもらったし、貸し借りはなしにしたいんだ」
「じゃあお言葉に甘えようかな。私、チリホットドックが食べたいです」
「すぐ買ってくるからここで待ってろよ。右往左往して目立ちたくないから」
「うん。ありがとう、黒猫くん」

 うまく扱われているような気がするが、まぁいいかと諦めてしまえる。


 炎上が代名詞となっているアリスだが、それは本人の意思ではない。売れるという甘言に踊らされ業火の真ん中で身動きとれずに焼かれているだけだ。
 出会って日の浅い凪人には自ら炎の中に飛び込んでアリスを救い出すほどの勇気はない。
 けれど少しでも元気を取り戻したのなら、それでいい。レイジは鳴いている猫と女の子の味方なのだ。


(なんて、今日以降会うことはないだろうけどな)

 

 ※

 

(さて、と)


 ベンチに深く腰かけたアリスはスマホで撮った写真を確認していた。いかにもデートを楽しんでいるようなもので、他人が映り込んでいないものを探していく。


(ペンギンが泳ぐトンネルと、ジンベイザメの遊泳、あとは)


 アルバムを眺めていると水槽に凪人が映り込んでいる写真を見つけた。
 まるで初めて来た子どものように目を輝かせている。その横顔にはレイジの面影が確かにあった。


(さっきは、びっくりしたなぁ)


 事務所の指示だと一瞬で見抜かれた。

 売れたいのなら悪行を重ねるほうが手っ取りばやい。そうして日本中に敵を作ったところで被害届を出して公にしたなら、世間の人々は手のひらを反して「かわいそう」だと同情してくれる。
 機が熟すまでひたすらに自分を貶めていく。いまはそれしかない。
 そう言われてAちゃんねるで火事を起こしてきた。


(でもそんなことをしている間にどんどん目標から遠のいている気がしたんだよね。でも誰にも相談できなくて)


 そんな苦しさを察してくれた。
 まだ三回しか会っていない相手に。
 だから演技だったと茶化して誤魔化した。これ以上踏み込まれたくなくて。


(凪人くんって何者なんだろう)


 写真にじっと目を凝らしていると一度目の前を横切った人影がわざわざ戻ってきてアリスの隣に腰かけた。


「すみません」

 どきっとした。相手はこちらを覗き込むように体を傾けてくる。

「は……」

 スマホを構えたまま顔を上げる。そこにいたのは中年の男性だった。白髪交じりの髪は乱れているわけでもなく、ハイネックのシャツにジーンズと至ってまともな格好をしている。人当りの良さそうな笑顔を浮かべ、娘にでも話しかけるように近づいてくる。

 

「デートだって? どうせ脅されたかなんかで無理やり連れてこられたんでしょう? 心配だから来ちゃったよ、Aliceちゃん。ぼくのこと覚えてる?」

 

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