ななころびわなびA

ワナビ歴10年。そろそろ限界

ブログ小説「黒猫とアリス」5話

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 日曜、七時半。食卓についた凪人は浮足立っていた。


(十時に水族館、だったよな。八時に出れば自転車でも間に合うよな。おれ一体なにさせられるんだろう)


 トーストに手をつけるが一向に喉を通らない。仕方なく牛乳で流し込んだ。


「今日はどうしたの。食欲ないのね。そんなんじゃ倒れちゃうわよ」


 母に軽口を返す余裕もなく、時計を気にしながら機械的に食事を呑み込むしかなかった。しかしデザートを前にして手が止まる。瑞々しいさくらんぼが二つ皿に乗って主張していたのだ。


「……母さん、おれ当分さくらんぼ食べられそうにない」
「なんで?」
「だって思い出すじゃないか」
「なにを?」
「だから――いいや、忘れて」
「あぁ好きな子の唇ってことね」
 合点がいったように手を叩く。凪人はすかさず立ち上がって抗議した。

 

「ちがう、ちがうよ全っ然ちがう、アレはなにかの間違い!」


 うろたえ、狼狽しまくる分かりやすい息子に母はとびっきりの笑顔を向ける。


「《アレ》って?」
「あ、あああアレなんて言ってな……ぃ……」
「さくらんぼみたいな感触でしょう? 甘くて」
「さ、さささくらんぼ? だれがそんな」
「キスしちゃったのね」
「ちがう! 全然ちがう! アレはあいつが勝手に」


 ムキになればなるほど母に心を読まれるとも知らず、凪人はどんどん墓穴を掘っていった。


「あれは唇に噛みついてきただけなんだ。顔面衝突みたいなもので、キスとかそういうんじゃなくて」
「いいから早く食べちゃいなさい。デートに遅刻するわよ」
「デートじゃない!」


 結局さくらんぼを残して家を出た。

 

 予報どおり快晴。ぐいぐいと自転車のペダルをこぎながらアリスのことを考える。

 Alice――パソコンで検索した彼女の別名は「炎上モデル」。その容姿とは裏腹にAちゃんねるで犯罪や差別スレスレの言動を繰り返し、悪名によって名前を轟かせていた。
 彼女について書かれたサイトには中学時代から家出を繰り返して補導されているだの、男遊びが激しいだの、整形しているだの、小学校でいじめた相手が自殺未遂しただのと書き込まれ、コメント欄は「生きている価値がない」「見るだけで不快」「ビッチ」「現代の魔女」……見るのもうんざりするような悪意にあふれていた。
 そんな相手とは関わりたくないと思う一方で、どこか気になってしまう自分もいる。

 

『――レイジは私の初恋だったんだ』

 

 あんなに無邪気に語っていたせいだ。こんなにも胸がうずくのは。

 

 ※

 

 十時五分前、指定された満月水族館に到着した。


 休日で賑わう入場口をよそに、凪人は駐車場に通じる公園に設置されていた案内看板の前でぽつんと待機していた。看板に描いてあることと言えば簡単な地図だけだが、入口で堂々と人を待つのが難しい凪人にとってはうってつけの場所だった。


(人との待ち合わせ程度だったら嘔吐まではしないと思うけど、油断できないからな)


 天気や体調、シチュエーション、それらがカチッと組み合わさったときに吐き気を催す。完治はしないまでも症状を緩和する方法はだいぶ身についていた。
 それでも極力外出は避けるようにしていたはずなのに。


(おれ、なにしてるんだろう)


 看板に向かってため息をつくと、ちょいちょいと背中をつつかれた。


「な・ぎ・とくん」

 声だけで分かる。アリスだと。


「まだ振り返らなくていいよ。きょうは来てくれてありがと」
「脅したくせに」
「えー? そんなに楽しみにしてくれたの?」
 人の話を聞かないつもりだ。であれば、そういう相手として付き合うのみ。
「今日付き合ったら画像消してくれるんだよな?」
「もちろん」
「おれはなにをすればいい?」
「デートかな」
「分かっ……デートぉ!?」


 びっくりして振り返ると目深に帽子をかぶったアリスが佇んでいた。ハーフパンツにTシャツといったラフな格好で、サイドに分けた黒髪の三つ編みを背中へと流している。例によって変装用のウィッグだ。


「なに言ってるの。休みの日に女の子に呼び出されたらデートしかない、でしょ」


 問答無用で腕を掴んで体を摺り寄せてきた。ボーイッシュな格好をしているくせにさすがはモデル、あっさりした化粧はよく似合っているしなにより美人だ。かすかに甘い匂いがする。
 ターコイズの瞳でしきりに周りを確認しつつ、こそこそと耳打ちしてきた。


「いい? これは大事なミッションなの」
「ミッション?」
「そう。私は昨日Alice名義でSNSに『明日は水族館デート。楽しみ』って書き込んだの。投稿を見たストーカーは『けっ、男がいるのか』と諦めてくれるはず」


 つまり偽のデートを演出し、戦わずして相手の気力を削ぐ作戦らしい。


(あれ、でもネットには男遊びが激しいって)


 毎回SNSの写真に載っている男が違うと噂だったが、それが本当ならその内の誰かに頼めばいいのではないだろうか。
 よっぽど不思議そうな顔でもしていたのかアリスが首を傾げる。


「どうしたの?」
「あ、いや……その、彼氏の存在を匂わせていいのか? イメージダウンとか」
 アリスはあっけらかんと笑う。
「ないない。私は炎上モデルだからNTRくらいにしか思われないよ」
「NTR……(ってなんだ)」
「分かってくれた? じゃあ行こっか」


 カップルらしく腕を組む形で入場口へと連行される。嫌がると「目立つよ?」と脅された。手をつなぐよりはマシだが恥ずかしいのは変わらない。


「あ、そうだ。モデルのAliceだってバレると面倒だから私のことはウサギって呼んで。私は黒猫くんって呼ぶから」
「ネーミングセンスがちょっと」
「んん、なにか言ったかな? 黒猫くん?」
「はっ、なんでもないですウサギさん」


 不安いっぱいで入場ゲートをくぐる。チケットはアリスがあらかじめ用意しておいてくれた。デートに付き合わせるのだから当然だという。


 そういう点をちゃんと考えてくれているのは炎上モデルとしては意外な気もした。

 

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