ななころびわなびA

ワナビ歴10年。そろそろ限界

ブログ小説「黒猫とアリス」4話

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「私モデルをしているの。Emisionにも毎号載っているのよ。それなりにだけど」


 ここにきてようやく話がみえた。先ほど職員室あたりを騒がせたモデル、それが彼女だ。そして。


「もしかしてAちゃんねるに出演しているモデルって」
「私よ。さっきからそう言ってる」
「えぇとなんだっけ、歯ブラシ問題? で訴えられたのも」
「それも私」
「番組中に使用した歯ブラシで和解金を払おうとしているって」


 がばっとアリスが跳ね起きた。


「しょうがないでしょ! だってあれは――……」


 見開いた瞳には憤りと必死さが現れていた。しかし言葉が続かない。


「……なんでもない」


 そう言ってまたぽすんと転がってしまう。腕を引き寄せて小さく縮こまった。


「あーあ、朝は黒猫を見かけたからいいことあると思ったんだけどなー」
「逆じゃなくて?」
「祖母がニュージーランド出身なんだけど、黒猫は妖精の化身として縁起の良い生き物だったの。結婚式の前の黒猫が横切ると幸せになるとも言われている。そして今朝私たちが出会ったホームには黒猫がいた。これは偶然だと思う?」
「いや偶然としか思えないけど」
「つっまんない人」


 窓から差し込む光のせい、あるいは髪色のせいだろうか。まっしろなシーツに横たわるアリスの姿はきれいだった。まったく知らない凪人でも見とれてしまう。しかしいつまでもこうしているわけにはいかないのだ。


(彼女には関わらないほうがいい)


 体が警鐘を鳴らす。モデルだろうがアイドルだろうが関係ない。芸能界《ワンダーランド》の住民に深入りしてはいけないのだ。


「ごめん、もうすぐ昼休み終わるんだけどもういいかな。そっちも学校だろ」
「早退。仕事で抜けることもしょっちゅうだもの、誰も気にしないわ」
「ならいいけど、おれは行くよ。わざわざ礼を言いに来てくれてありがとう」


 寝転んだままのアリスにぶつからないようベッドの反対側に体を反転させて立ち上がろうとした。そこへ手が伸びてくる。腕を掴んで乱暴に引き寄せられた。どこか必死な表情に文句を言いそびれる。


「待って。忘れ物、届けに来たの」


 手渡されたのは生徒手帳だった。学校名だけでなく凪人の顔写真と名前がばっちり映っている。アリスはこれを頼りに自分を見つけたのだ。


「そっか、ありがとう。でも落とし物なら駅員さんにでも届けてくれれば良かっ……ぐふ」


 突然顎を掴まれたせいで言葉が詰まる。片手で凪人の顎を挟んで乱暴に上向けしたアリスはもう一方の手で驚くほど丁寧にメガネを取った。
 無言で見つめあうこと数秒。


「朝見たときから思っていたけど……」


 目の前でアリスの唇がぷるぷると震えだす。


「やっぱり、やっぱりやっぱりやっぱり」


 見る見るうちに頬が赤くなって瞳が輝き出す。


「レイジだーーーッ」
「いて、いててててて」


 窒息しそうなほど強力なハグだ。骨、筋肉、内臓……ぜんぶ潰されそうな勢い。しかしアリスは一向に気にしない。それどころか目をキラキラさせて早口でまくしたてる。


「私ね、私ね、私ね、レイジの大っ大っ大ファンで、DVDも全巻持っているしグッズだってサイン入り台本だってネットオークションに出ていたものを片っ端から買い集めたの、それでね、それでね、それでね」

 

「スト――――ップッ」

 

 両手を突き出しアクセル全開のアリスに急ブレーキをかける。
 きょとんとして目を丸くしたがとりあえず静かになったので急いでメガネを取り返した。


「なに興奮しているのか知らないけど、おれは黒猫探偵の小山内レイジじゃないよ。人違いだ」
「……でも」
「同い年だし顔もちょっと似ているよ。ちょっとだけな」
「でも」
「レイジは九歳で引退したんだ。高校生になったときの顔なんて分か――」


 アリスはメガネをかけ直そうとしていた凪人の手をどかして再び顔を見た。


「凪人くん、興奮すると鼻膨らむよね」
「うっ」
「右目蓋にある小さなほくろ、色も形も同じだよね」
「ううっ」
「それに私レイジとは言ったけど『黒猫探偵のレイジ』とは一言も言ってないよ。もちろんファンなのは『黒猫探偵レイジ』の小山内レイジだけどね」
「ぐはっ」


 完敗だった。

 

 芸名、小山内レイジ。――本名、黒瀬凪人。
 野暮ったい髪型やダテ眼鏡でひた隠しにしてきた正体が、遂にバレた。


 いつかこんな日が来るかもしれないと警戒していたが、まさか六年も経ってからとは。


(どうするおれ。こうなったら口封じ……いや口止めするしかない。おれの苔色の高校生活を守るためだ)


 そうと決まればきちんと伝えて理解してもらわねば。脳がフル回転で動き出す。


(『放送終了から六年も経っているのにファンでいてくれてありがとう。でももうレイジは引退したんだから、ただの一般人のことは忘れて誰にも言わないでくれないか?』――よし、これだ)


 凪人は軽く咳払いしてアリスに向き直った。


「えーと、兎ノ原さん。放送終」
「でねでね、レイジってば女の子みたいな顔しているのにとても勇敢なの」


 残念。アリスは人の話を聞いていない。


「レイジは私の初恋だったんだ。頭いいしカッコイイし女の子には優しいのにオバケとトマトが怖くて泣いちゃうところとか最高だった」
「それはあくまでも設定だからな、確かにトマトはいまでも苦手だけど」
「いなくなったお父さんを探しつつお母さんのお店の手伝いをするなんて偉いよね」
「そもそも母親が営むカフェに毎回事件の相談が寄せられる設定がおかしいだろ」
「いまごろ八頭身の美男子になって大好きなココアでも飲んで暮らしているのかな」
「だれが八頭身の美男――ん?」


 凪人の動揺など露知らず、アリスは恥ずかしそうに両手を重ねる。


「会いたいなぁってずっと思っていたせいかな、目が合った瞬間に釘づけになっちゃったよ。メガネとると益々そっくりだね」
「……そっくり?」
「うん。似ているって言われるんでしょう? ただ本物のレイジはもっと格好良くなっていると思うけどね、ふふ」

 

(セーーーフ)

 

 心の中でガッツポーズした。
 バレていない。顔は似ているが肝心の「本人である」ことには思い至っていないようだ。六年間守り通した秘密、このまま隠し通せそうだ。


「そういえばさっきなんて言いかけたの? 放送なんとかって」
「なんでもない。放送終わって残念だったなって言いたかっただけ」
「そうそう、あまりに急だったでしょう? 一週間泣き続けたよ。その後もしばらくグッズを見る度に泣いてパパに慰められてた。いままでの人生の中でもあんなに悲しいことはなかったなぁ」


 思い出話に浸りかけたところへ予鈴が鳴る。教室に戻ろうと今度こそベッドを降りたところでアリスが距離を詰めてくる。ほぼ初対面のくせにパーソナルスペースがやたらと狭い。


「ねぇ凪人くんって彼女いるの?」
「は? いないけど」


 レイジだったころはバレンタインデーにトラックいっぱいのチョコが届いたらしいが、虫歯になるからと一つも食べさせてもらえなかった。いま思い出しても悔しい。


「どうせならもうちょっと背が伸びれば良かったね、そうしたらモテモテだったかもしれないのに」


 痛いところをついてくる。目立つのはイヤだが、ひとりの男として背の低さは結構気にしているのに。


「いいんだよ、おれはもうレイジ……そっくりさんじゃないんだから。モテなくても背が低くてもいいんだ、そもそも恋愛とは無縁で生きていくと決めてるしな」


「――――へぇ」


 後にして思えば「へぇ」と応じたアリスの顔をよく見ておけば良かったのだ。悪巧みを思いついた子どものような顔をしていたのだから。


「じゃあこれ初めて?」


 肩を押されてベッドに押し倒されたのとアリスが覆いかぶさってきたの、そして歯と歯をぶつけあうように唇を重ねたのはほんの数秒間のことだった。
 カシャ、と光ったのはスマホのフラッシュ。


「よし、と」


 唇を離したアリスはスマホの画像を確認してポケットに収めている。対する凪人はノーリアクション。あまりに突然で思考が追いつかなかった。


「うん、よく撮れてる。じゃあ今週の日曜日、隣町の満月水族館の入口に十時集合ね」
「え、いま、なに、え、十時?」


 自分の身になにが起きたのか理解できない凪人をよそに、アリスはすでにベッドから離れて扉へ向かって歩き出している。扉を開ける寸前で振り返り、念押しするように告げた。


「日曜日の十時、忘れないでね。じゃないとこの画像ネットにばらまく」


 そんなことしたら困るのはそちらだろうに、と凪人の心を読んだのかアリスはわざとらしく声音を変える。


「あ、私のことは大丈夫。男友達のひとりって書くから。でも私のファンたちはネットを駆使して特定に走るだろうね。そうしたら困るんじゃない?」


 スマホを振る表情《かお》のなんと悪い顔か。
 三千人のファンが動いたら凪人など瞬く間に特定されてあらぬ疑いをかけられてしまうに違いない。目立つのは絶対にイヤだ。


「ほんとうは口止めにしにきたの。売りだし中のモデルがストーカーに殺されかけたなんて言いふらされたら困るもん。私は炎上モデルだから被害者じゃダメなの。分かるよね?――じゃ、そういうことで日曜に」


 嵐が去っていく。廊下で教頭たちの声が聞こえたが、やがて遠のいて行った。
 呆然と天を仰ぐ凪人。置き去りにしていた思考が亀のように追いついてきた。


「口止め……って、いま、おれ――――えぇえええええーーーっっっ」


 悲しいかな、ファーストキスだった。

 

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